(通信第75号「巻頭言」より)
フィリピの信徒への手紙3章10節~11節
わたしたちはこの世では限りある命を生きています。しかし、わたしたちには復活の希望があります。使徒パウロは「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」と言っています。世界の全ての民族は何らかの宗教を信じ、死後の世界を信じているといわれます。日本でも仏教や神道で教えるように、また、漠然とではあっても、新井満さんが作曲した「千の風になって」のように、人は死んでもその魂は生き続けると考えています。プラトンの「パイドン」では、ソクラテスはあの世への霊魂の移住が順調に行きますようにと神々に祈り、この世を去りました。古代ギリシャ思想は人は肉と霊から成り、体は死んでも魂は生き続けると考えましたが、今日でもこの思想は世界中の多くの人の心をしっかりと捉えています。
このヘレニズムに対峙するのがユダヤ人の聖書に基づく考え方であるヘブライズムです。それは人を霊、肉に分けることなく一体と考えることにあります。キリスト教もまたこのヘブライズムを受け継ぎ、死は霊の死でもあり、肉は霊と一緒に復活すると考えます。死は罪の結果であり、死という断絶があって初めて、霊肉共に神の国の住民にふさわしく創り変えられるのです。主イエスがわたしたちの罪を十字架で贖ってくださったがゆえに、この死からの復活はわたしたちの人生の目標となり、祈りとなったのです。
アジアだけでなく、わたしたちの援助がバンマリグ牧師を通してアフリカのガーナにまで広がっていくことは本当に大きな感謝です。世界中に住むクリスチャンが神と隣人を愛し、神の国の民としてふさわしく祈りあっていきたいと思います。
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