(通信第76号「巻頭言」より)
ヨハネによる福音書15章16節~17節
科学者アインシュタインは神について次のような疑問を投げかけています。「もしこの存在者が全能であれば、全ての人間の行動、思想、また人間の感情と希望を含む全ての出来事がこの存在者の仕業です。人間の行動と思想に対して本人の責任を問うことはどうしてあり得るのでしょうか。罰と報いを与えることによって、ある意味では神がご自分を裁くことになります。神に帰すべき善と義をこれと両立できるのでしょうか」。この問いは神の絶対的主権を信じる多くの教会とクリスチャンにとって大きな挑戦です。そしてこの問いは、アインシュタインによって初めて提起されたのではなく、古くからありました。神はこの天と地の造り主です。この世を保持し、歴史を支配し、わたしたち人間もまた御心のままです。
全てが絶対者である神の御心のままにあるなら、この世の全ての悪もまた神の責任に帰することになります。アフリカの今日の多くの問題は、欧米列強が自国の都合で国境を引き、農作物を割り当て、資源を搾取したことにあると指摘されています。その責任もまた究極的に神に求められることになります。
同時に、このような欧米諸国に代表される利己的な人たちだけでなく、アフリカに愛の手を差し伸べる多くの人がいます。これもまた人を通してなされている神の働きといえます。そして、わたしたちのガーナへの援助も僅かではあってもその一つであればと願っています。
わたしたちは神の業やご計画の全てを理解することは出来ませんが、聖書をとおして多くのことを知らされています。神と人とを愛するその働き人の中に神の「選び」があると信じます。神の働きは永続することにその特徴があります。その働きこそ愛であって、「新しい天と新しい地」に引き継がれるものです。
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