通信第80号「巻頭言」より
ヨハネによる福音書3章1節~15節
ニコデモは夜、主イエスのところにやって来て言いました。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」。ニコデモはサンヘドリンと呼ばれるユダヤ最高法院の「議員」でした。その彼が主イエスに国の指導者、支配者を代表して挨拶したのです。「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことができないからです」と。「夜」とは「暗闇」であって、ヨハネの福音書ではその言葉には特別の意味があります。それは「この世」であって、「無知」、「罪」の象徴でした。「しるし」とは奇跡のことで、それによってニコデモは主イエスの語られる言葉もまた神から出ていることを認めると告白したのです。そのニコデモに主イエスは答えられました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。「新たに」はギリシャ語のアノセンで、「上から」と「再び」の意味があります。夜来たニコデモは「再び」の意味に取り「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度、母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と言いました。それに対し主イエスは「だれでも水と霊によって(新たに)生まれなければ、神の国に入ることはできない」と彼の言葉を正されました。
主イエスは御自身が「天から降って来た者」と信じる者たちを「わたしたち」と呼び、ニコデモを「あなたがた」と呼んで明確に区別しています。ニコデモは主イエスをあくまで人、つまり旧約聖書の預言者の一人のように見ていたのです。彼は神が主イエスを通して働かれているのを見ましたが、主イエス御自身が神であるとは信じられませんでした。
わたしたちはどうでしょうか。主イエスをどのように信じるかによって「わたしたち」と呼ばれるのか「あなたがた」と呼ばれるのかが決まります。もし、「あなたがた」であるなら、神の国に入るために主イエスを神の子と信じ、「新たに生まれる」ことが求められます。かつてわたしたちは新しい年の初めには全てが新しくなると考えていました。しかし、私たちが「新たに生まれる」のは主イエスによるのです。
年の初めに当たって、皆さんにとって今年も良い年でありますようお祈りいたします。
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