通信71号「巻頭言」より
フィンリー師の召天の報に接し、悲しみを禁じ得ませんが、師の生前の祈りがわたしたちの活動の原点となっていることに深い感慨を覚えます。1984年6月に来日された時、知人らが集まり歓迎会が催されましたが、それを機に日本にパートナーズ(当時はCNEC)が設立されることになりました。それはフィンリー師の長い間の願いであったと伺っています。わたしはフィンリー師とは初対面でしたが、親しみ深く、気品に溢れた人格に引かれ、理事の一人に加わるようになりました。当初は、どのような活動から始めたらよいのか分かりませんでした。
そのような時、アメリカ出張の折にサンノゼにあるのパートナーズの本部を訪ねました。フィンリー師は喜んで迎えて下さり「日本人は教育に熱心だからまず子供たちの学費援助から始めたらどうか」と勧めて下さいました。ルース夫人はSponsor A Childの責任者でしたので、西カリマンタンに住む子供達の写真を預かり帰国しました。理事会で賛同を得、SACが日本の活動の中心となりました。
フィンリー夫妻はその後何度か来日されましたが、わたしに「海外宣教に目を向けることは教会の伝道の活性化につながる」と言われたことがありました。わたしが理事長を引き受けたのもそのお言葉があったからです。
フィンリー師が天に召された今、わたしたちはその遺志を少しでも引き継いでいきたいと思います。(注)フィンリー師は2006年10月30日、天に召されました。76歳でした。
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